富山県の西北、能登半島の東側付け根部分に、氷見市(ひみし)は位置しています。
豊富な海産物が獲れる「青い海」と、変化に富んだ「みどり豊かな大地」を有し、 海の幸山の幸に大変恵まれています。
日本海側有数の氷見漁港には、日本海に生息する魚類の半分以上がいると言われている富山湾から、四季を通じて156種類もの魚が水揚げされ、初夏の「マグロ」、冬の「寒ブリ」、そして「氷見いわし」など、全国的にも有名になっています。
また、市内には歴史的に重要な遺跡があり、日本ではじめて発見された洞窟住居跡「大境洞窟」など歴史ロマンにあふれています。
氷見市海浜植物園は、日本各地の海浜植物を中心に植栽展示する植物園。
「富山県植物公園構想」の専門植物園のひとつとして、日本一の規模を誇るマングローブの再現林をはじめ、 全国の海浜植物を植栽。
万葉集にも詠まれた白砂青松の地「松田江の長浜」にあり、松田江浜の海浜植物の保護育成にも努めております。
また、希少な淡水魚「イタセンパラ」や氷見市内の淡水魚なども見ることができます。
アロマガーデンは、自然界に学び、緑と語る全国初の海浜植物園です。
平成12年4月21日にオープンした『氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館』は、氷見のキトキト(新鮮な)の海の幸、山の幸など、一番美味しいものを一番美味しい時にをコンセプトに提供する直販施設で、約200席の海鮮レストランでは朝獲れの魚を使った自慢の魚料理も味わえます。施設は道の駅を兼ね、中の情報センターは観光情報などの発信基地として機能してますので、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。
また隣接する比美乃江大橋(斜張橋)は、マリノベーション事業の一環として整備されたもので、富山湾に浮かぶ立山連峰の大パノラマが一望でき、夜間はライトアップを行うなど、氷見市の新しいシンボルであります。
遥かな昔、豊かな海沿いに古代の文化が芽生えて以来、この地には、数々の考古学的な遺跡や遺物などをはじめとした、数々の歴史文化の遺産が残されてきました。
氷見市立博物館は、その歴史の息吹、ゆかしい文化の香りがつまったタイムカプセルです。たとえば日本ではじめて調査された縄文時代・弥生時代の住居跡・大境洞窟遺跡(国指定史跡)のジオラマ。また越中国守として赴任してきた万葉歌人・大伴家持と彼が詠んだ氷見の歌枕などや、氷見ブリとともに全国に知られている越中式定置網をはじめ、昔の網起こしなどもわかりやすく紹介・展示されています。氷見の奥深い文化の流れをたどる、知的好奇心くすぐる博物館です。なお、館内には氷見にある前田利家画像のパネルが展示され、また利家が氷見ブリを京都に送らせたと記す史料のレプリカも展示されています。
ひみ獅子舞ミュージアムは、氷見の代表的な伝統芸能である獅子舞の展示・実演・体験を通して、後世への文化の伝承と担い手不足のため獅子舞が途絶えている地域への応援的役割を果たすとともに、現在各地区で展開されている地域活動や市内各種情報を発信する総合案内機能を兼ね備えたミュージアム(博物館)です。
光久寺は、氷見市飯久保の真宗大谷派の名刹で、山号は風香山。寺伝では、もと真言宗で現氷見市仏生寺の吉池にあり、玄巣院と称して大化年間(645〜650)の創建。大和の国(現奈良県)長谷寺別院の一つと伝えています。その後、南北朝の康永2年(1343)、現在地に移り真宗に帰属。寺号も光久寺に改められ現在にいたります。名勝の評価も高い茶庭は、江戸時代の加賀藩御用造園師・駒造の作庭とされ、城端・善徳寺の庭とは“兄弟庭”と伝えられています。庭は、背後の丘陵を巧みにいかし、御堂座敷と書院をつなぐ回廊をはさんで、後庭と中庭からとなっており、回廊の下を清流が流れて中庭にそそいでいます。泉水には中島も浮かび、さりげなく配された石組みと植栽の妙趣や背後の樹木との見事な調和が“俯してみる池もよし、仰いでみる山もよし”というところから「俯仰園」と呼ばれています。広さは660平方メートル。素晴らしい眺めは、飛び石づたいに巡観できます。
万葉時代、「布勢の水海(ふせのみずうみ)」という大きな湖が広がり、万葉の歌人、大伴家持が越中の国守として現在の高岡市伏木に滞在していた当時、たびたび訪れて遊覧しました。その際詠んだ歌が多数残されており、歴史ロマンを秘めた地です。その名残がここ十二町潟です。また、オニバスの発生地としても広く知られており、国の天然記念物に指定されています。十二町潟水郷公園は、この潟の貴重な歴史性と自然資源を生かして、建設省のアーバンエコロジーパーク(自然生態観察公園)の指定を受け、都市公園として整備されました。特に「いこいの広場」周辺には、国内の公園では、ここだけでしか見ることができないであろう「石の花」や「フラワータワー」「霧の花噴水」などシンボリックでユニークな施設が配置されています。
朝日山公園のふもとにある上日寺は、ごんごん祭りで有名な真言宗の古刹。その境内に、創建時に植えられたと伝えられているイチョウの巨木がそびえ立っています。この大イチョウは雌株で、樹齢も古く、樹高約24m、目通し幹回り12m。雌株では日本一の幹回り(雄株も含めたイチョウ全体では全国7位)を誇っており。全国の国指定イチョウ27件の一木です。
灘浦海岸に面した縄文中期〜近世にいたる洞窟の複合遺跡で、奥行35m、入り口の幅16m、高さ8m。波浪によってできた海食洞で第三紀鮮新世の石灰質岩盤。現在の床面は海面より約4m高くなっています。発掘は大正7年(1918)、洞窟内にある白山社改築の際、多数の人骨、獣骨、土器類などが出土したことから、本格的な調査が行われました。調査の結果、縄文中期から近世までのバームクーヘンのような上下6層の文化層が確認され、ことに弥生時代を中心に20体以上の人骨が発見されました。この発掘によって縄文文化と弥生文化の時間差が分かったほか、縄文期の大型石棒・石庖丁や、弥生人骨の抜歯の風習や顔面装飾(頭骨に赤い塗料のついたもの)が注目を集め、日本の考古学史上に残る遺跡として評価されています。


